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"自由とは「組織からの解放」だと思っていたのでしょう。家庭や学校、会社、また国家などから飛び出すことが、自由なのだと。しかし、たとえ組織を飛び出したところでほんとうの自由は得られません。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。"

嫌われる勇気 / 岸見 一郎 (via ebook-q)

(nobabaclipから)

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未だにぐぐることすら出来ない人って結構いるじゃない。

まぁそういう人は「ぐぐれる人に聞こう」ってなるじゃない。

そこそこ的を得た検索結果をまんべんなく出してたら、「あいつに聞けばいいや」ってなるじゃない。

その結果、いつもメールとか電話が着信しっぱなしになるじゃない。

ちょっとデザインかじってたりweb作れたりすると、「簡単でいいから作ってよ」って人が寄ってくるじゃない。

「今時web作るのってタダでできることばっかりなんだから、全部無料で作ってよ。メシおごるから」とか言うじゃない。

「結婚式のウエルカムボード作って〜」「そういうの得意なんだよね?」とか言うじゃない。

もちろんめでたいことだからタダでって圧力かけるじゃない。

さらにPCを自分の興味範囲で自作してたり、不具合の対応に慣れたりしてると、

「なんもしてないのに壊れたからなおして」っていう人が出てくるじゃない。

1日かけて普通に動くレベルまで調整して返したら「ありがとー、ごはんおごるわ」とか言うじゃない。

そういうのがエスカレートして、

「ニコニコから音楽落とすのどうやんの?」

「タダでpspのソフト落としたいんだけど」

「漫画全巻落ちてるサイト知ってる?」

とか言ってくるじゃない。

知らないって言ったら「調べて」って言うじゃない。ヘラヘラしながら。

試しに「それしたらなんかくれんの」って聞いたら「なんかおごる」とか言うじゃない。

なんで「なんかおごるから万引きの仕方教えてー」と言えるのかと考えたはじめたら悲しくなった。

次々と他愛もなく浴びせられる要求に、善意が枯渇していくのを感じた。

氾濫している情報から適切な情報を届けることに対して「タダでできそうラッキー」とか「安く買いたたける」としか考えていない人が、大勢いたんです。

感謝の言葉と「なんかおごる」程度の謝礼で、私に「都合のいい秘書になれ」「万引きをしろ」と簡単に言う人が、大勢いたんです。

これは5年前の話ですが、それ以来PCを介した情報を誰かに気軽に届けることに対し、身構えて知らない振りをすることが多くなりました。

2012年現在どうなの?

私は未だに「ぐぐれない」人がたくさんいて、少しでも「なんかおごったらやってくれそうな人」を見つけたらそういう人達がダッシュで突っ込んでくるような気がしてならない。

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http://anond.hatelabo.jp/20120210101250 (via drhaniwa)

(元記事: anond.hatelabo.jp (nobabaclipから))

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ryotarox:
“タイポグラフィに関心のあるひとは造形だけでなく言葉そのものへの関心も高いことが多いけど、この3冊が気になった理由もそれぞれ「括弧」「句読点」「振仮名」という着眼点が面白いと思ったことから。
 
▼『括弧の意味論』木村大治
http://www.amazon.co.jp/dp/475714265X
▼『テンとマルの話...

ryotarox:

タイポグラフィに関心のあるひとは造形だけでなく言葉そのものへの関心も高いことが多いけど、この3冊が気になった理由もそれぞれ「括弧」「句読点」「振仮名」という着眼点が面白いと思ったことから。
 
▼『括弧の意味論』木村大治
http://www.amazon.co.jp/dp/475714265X
▼『テンとマルの話 —句読点の落とし物/日本語の落とし物』芝原宏治
http://www.amazon.co.jp/dp/4775401947
▼『振仮名の歴史』今野真二
http://www.amazon.co.jp/dp/4087205010
 
この本への興味は「約物の正しい使い方を知りたい」といったことではなくて、むしろ「自分で新しい記号を発明してしまいたい」という願望が自分にあったりとか、そもそも「書かれた文字から意味やニュアンスを感じてしまうこと」の不思議を知りたいという関心が動機。「括弧」「句読点」「振仮名」という言葉の脇役に注目した点が面白い。
 
ふつうは表現したい意味や感情があってそのために適切な言葉を使うものだけど、逆に言葉があるからこそ意味や感情があるのでは、ということはよく言われる。地域や時代で言葉が違えば、その言葉ならでは特有の意味や感情があったりなかったりすることも。
 
メディアが発達して例えば画面内の文字にカーソルを置くと注釈がポップアップするようなことも、「括弧」「句読点」「振仮名」などの仲間の進化形ともいえる。
  
ポップアップといった画面内のデジタルな振る舞いだけでなく、レガシーなメディアでも、たとえば写真のなかに見出しの文字を置くとして、その扱い次第では写真が文字に対する括弧や句読点や振り仮名のように機能することもありそう。
 
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『括弧の意味論』木村大治
  「…週刊誌の見出し、現代思想のテキスト、TVの字幕、数式やプログラミング・コード、そして現代にあふれる括弧的な現象…。括弧によって切り取られた言葉は、ある種のアブナイ性質を帯びる。言語の持つ生成性の源に触れる、現代コミュニケーション論…」
  
『テンとマルの話 —句読点の落とし物/日本語の落とし物』芝原宏治
  「…日本語に「マル抜け文」が多いのはなぜなのか?読点をどこにうつべきか?法則はあるのか? 英語で学ぶと簡単なことが、日本語で学ぶと分かりにくくなるのはなぜなのか? 言語学者が、それらの質問に応えた、何とマルマル一冊「句読点」と「句読法」…」
  
『振仮名の歴史』今野真二
  「…言語学上屈指の「無敵ツール」である振仮名に迫った一冊…」
  
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「括弧」「句読点」「振仮名」以外にどんな要素があるだろう。「罫線」についての関心に特化した話題をとりあげる下記のブログも面白い。
 
▼「デザインと罫線」
http://ogurayuta.hatenablog.jp/
『…注目したいのは、(略)「飾りではない機能としての罫線の使い方」という言葉です。「飾りとしての罫線」、いわゆる「飾り罫」についての資料は充実しているものの、「機能としての罫線」についての考察は、前例がなさすぎて、参考資料がほとんどありませんでした。本ブログはそこへ切り込むものです…』
  
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映像表現で「括弧」「句読点」「振仮名」に相当するものはあるだろうか。映画の中で引用、強調、区切り、二重の意味の提示、みたいな機能を持つ手法は。

(nobabaclipから)

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"文庫版ジョジョ6部最終巻の荒木先生のあとがき
 
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第6部『ストーンオーシャン』 あとがき
 
このあとがきのコメントは実をいうとありません。
この『ジョジョの奇妙な冒険Part6 ストーンオーシャン』でスタンド能力としては(作者自身の感覚としては)
けっこう描ききった感が当時あって、アイディア的に究極に達してしまったのかな?と創作的な満足感を味わったのです。
「時間」が、どんどん人間の感覚より速くなって行って、無限に、考え得る限りの無限にーーー近づいて行く。ーーー
これ以上のスタンド能力ってもうないだろう。凄いのなんて、もうないな。
アイディアは究極へ達した、そう思ってしまったのです。
「満足感」とか「達成感」という感覚は、けっこう危険な領域の感覚なのでは?と常日頃思っていて、つまり
「全てOKしちゃって、もう何もいらないや」
という状態は人間としても漫画家としても、あるいは社会や文明の発展としても科学としても哲学としても、芸術としてもきっとヤバイ事に違いない。
燃え尽きる恋愛。もしくは闘い終わった”あしたのジョー”。人間はきっと何かを達成したり満足するために行動するのだろうけど、満足したらその後どうする?
それがこのストーンオーシャンを描き終わった後の矛盾した感覚でした。
 
主人公の空条徐倫は、求める父親からの愛情の空虚さが心の底にあって、それゆえ、交通事故を引き起こし、投獄されました。
そして、逆に父を助ける行動で、ひとりの女性として成長して行く。主人公の成長物語としては達成してしまった。そのあとどうする?・・・漫画制作的にそう思ってしまいました。
つまり描く事はもうないな。終わったな。「ジョジョの奇妙な冒険」はもう究極に達してしまったな。
それがこの「ストーンオーシャン」です。ーーーーー以上。
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・・・・・いや、やっぱりヤだな。それはなんか、うぬぼれなのかもしれない。かなりヤバイ、達成感とか思うこと。それ自体がヤバいような。赤信号が点滅しました。
どおしよう?本当にどおしよう?「そうだ!」そう思いました。
 
原点に返ろう。イタリアのルネッサンスは古代ギリシャやローマ時代の概念に返ったから起こったんだ。
フランスの画家のゴーギャンは、タヒチという原始に返って新しい絵画を生みだしたんだ。
ラストのボス・プッチ神父のスタンド能力をさらにパワーアップさせよう。そうすりゃあ、時間も主人公たちも血統も宇宙一周して原始に返れる。
ジョジョの奇妙な冒険ーー現代文明を捨てて自然に返ろう。
それが当時、終了直前に変更して描いた、「ストーンオーシャン」のラストです。しかもノスタルジイの感覚も出せた。空条徐倫の記憶は別のものだが、愛と情は残って永遠のものとなり、きっと成長して行くでしょう。
そしてーーーーーー
ジョジョの奇妙な冒険の次の第7部の主人公は、自然と闘い、自然から学んで成長して行く主人公にしよう。タイトルは「スティール・ボール・ラン(仮)」か?
そう思いながら、当時、この第6部を描き終えました。本来なら、こういった事は言ったり書いたりすべき事ではないのかもしれない。
でも作者本人のあとがきですからね。そういうあとがきです。
荒木飛呂彦"

【神父の】ジョジョ6部42巡目【新世界!!】 (via gkojax, isikasa) (via quote-over100notes-jp) (via 46187) (via atm09td) (via usaginobike) (via yellowblog) (via gkojax) (via hsmt)

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(元記事: linxspiration (hsmtから))